ネバネバ

最近は冷凍バナナばかり食べています

揺籃

何度かここで感染拡大の状況がどう変化するかの「肌感」を勝手に書いてきたが、4月5月に予想していたよりもその移り変わり方は単純ではないのだと気づかされている。

5月22日にこう書いている:

「6,7月くらいまではマスクやソーシャルディスタンスの意識は今くらいのレベルが求められる空気なのではないかと想像。8月くらいには恐る恐る飲み会ができるようにならないだろうか。」

この時点の私は単調減少の図しか想像できておらず、その減少速度が速いか遅いかが主な関心になっている。

しかし現実には、単純に感染者数のグラフだけ見ればどうみても第2波が来ていながら、感染者数に応じて4月と同じ制限を課すのは経済活動的に無理という現実?が相まって、世の中の議論も数ヶ月前より複雑化している感がある。単に自粛が辛い、というストレスというよりは、どうしたらいいかわからないという別の種類のストレスが色濃い気がする。

 

以下はストレス図鑑です。

①気をつけていても発症するのではないかという漠然とした不安が常にある

これは3月からずっと、起きた瞬間から寝る瞬間まで多かれ少なかれつきまとっているもので、もう改めて意識もしないけど積み重なって相当なストレスになっていると思う。

②以前は普通にできていたことができない辛さ・悔しさ・やるせなさ

学校行事、課外活動、ライブ等のイベント、飲み会、夏祭り、とか

②' その辛さを吐露したいけど、もっと辛い人がいるのではないかと思うと言いたいことも言えない

せっかくの夏なのにビアガーデン行けないの死にたい、とか呟きたい時、同級生に未だ会えない大学1年生とか集大成の大会が潰れた高校3年生の方がよっぽど辛いと思うとあんま言えないような気持ちになる人も少なくないような気がする(自分は割とそういうことに囚われがち)「医療従事者に比べたら…」みたいなことを考え始めるとますますキリがない。とか考えなければいけないのもストレスになりうる。

③人によって危機感の高さにズレがあり、それが人間関係の摩擦や攻撃的な言葉を生んでいる

緊急事態解除後、これが一番新たなストレスとして感じることが多いように思う。人によってはSNSで普通に飲み会やらの写真をアップしていて、自粛している人がそういうのを見ると「なぜ自分は自粛しているのにこいつは楽しんでいるんだ」「このような人がいるから感染が拡大するんだ」とか、自粛自体のフラストレーションと他人を糾弾する感情とがごっちゃになってしまっているような状況?に陥りうる。

危機感が自分と違う人の行動を目の当たりにすると、自分自身の自粛行動が正しいのかという価値判断が揺らぐことにもなり、常に何が正しいのかわからない状況に置かれているのも不安の種になっていると感じる。

危機感高めの人が低めの人を揶揄するような言葉をSNSで見ちゃったりするのもストレスフルですよね。全体的にSNSは見過ぎない方が良さそう。